日本における「忖度」の文化
どうも。pyonsuです。
今日は「社会人としてあり得ない」と言われた私の反省と、日本における忖度について、まじめに考えてみようと思います。
実は先日、ある先輩から作業を依頼されており、その作業に着手していました。
その日の帰り、作業が終わったものの、また新たに追加で作業が振られると思い何も連絡せず帰りました。
そして次の日、直属の上司からお怒りメールが。
「あなたに作業を依頼した〇〇さんは、作業結果を集計してお客さんに報告することをあなたも知っているはず。なのに、作業の状態を報告せずに帰るなんて、社会人としてあり得ません。」
僕はこの時に2つの感情が芽生えました。
1つ目:確かに、何も報告せずに帰るのは、作業結果を待つ側の気持ちを考えると失礼だったかもしれない。
2つ目:どのタイミングで報告してほしい など、要求があれば言うべきではないのか。
この相反する二つの感情を分析すると、どちらにも共通しているのは、
わたしにも先輩にも「直接のコミュニケーションが不足している」と感じました。
報告くらいしてくれるだろうと思っていた(のかは知らないけど)先輩と、
作業増えるだろうと見込んで何も言わなかったわたし。
どちらも、一言声をかけるだけで済む話だったなと思いました。
世間一般的に、「報連相はビジネスマンの基礎」と言われますが、ここには前提として
「立場が下の者」という前提があるように思います。
日本はよく、ハイコンテキスト文化と言って、要は「これくらいでわかるよね」という感覚が誰しもあります。
ビジネスではこの文化が非常に危ういものとわたしは思います。
今回の一件は、結局わたしも先輩も、
直接のコミュニケーション(言葉でも文字でもいい)を怠足らなければ、
わざわざ私が怒られることもなかったのかなと感じました。
PS:社会人としてあり得ないと言い放った上司は、機嫌の波が激しくとても厄介です。
機嫌を前面に出すのも社会人としてどうかなと心の中で思いました。笑